もくもく生活日記

日々の生活で思ったことを少しずつ。

STAY HOME

こんにちは。

 

この一週間は大学のオリエンテーションがzoomで始まりバタバタとしていました。

とうとう来週からは授業が始まります。。

うう、がんばります。

 

この自粛期間に入ってから通販を使うことがとても多くなりました。直接お店に行けないから通販をするというのが一番の理由ですが、何せ毎日の楽しみがないもので、、

先にお金を払って、何日か後に欲しかったものが届くのを楽しみにすることで日々の張り合いを得ている気がします。よくないですね、本当に、典型的な通販にハマるタイプです。

もちろん不必要なものをむやみやたらに買っている訳ではありませんが、ついつい夏服とか可愛いものを見つけるとポチッと、、してしまいます。

 

先日は母の日だったので、当日実家に届くように通販サイトでカーネーションのソープフラワーを頼みました。きちんと包装されて10日ぴったりに本当に届けてくれるのだから、便利だなあと改めて思いました。

 

外出するのが不安な今の時期に、私たち顧客は通販があってとても便利だけど、配達してくださる方たちはウィルスへの不安も顧みずに毎日働いてくれていると思うと、本当に頭が下がる思いです。

医療従事者の方たち、配達員の方、もっともっとたくさんのこんな時期でも必要不可欠なお仕事をされている方たちがいて、その方たちにも家族がいる、何ら特別じゃない私たちと同じ人間なんだと思うとだからこそ心からすごいなありがたいなと切に思います。

 

私はただの学生で、アルバイト先のカフェも今は休業中だし、本当に何もないただの1人だけれどそんな私にも与えられた今できる仕事が、STAY HOMEなんだと思います。

役割がない人なんて、今この大変な時期のなかで誰一人も居ないんだと、部外者なんて一人もいないともっとたくさんの人に知ってもらえれば、きっともっと全員が協力的に感謝しあえるのにな、、なんて、今日も家に篭りながら考えていました。

 

正直とてもストレスは溜まっています。でもそれはきっと私だけじゃないはず。みんな同じだと思えば励まし合って頑張れるはずです。

今日もお家にいる方、みんなのために働いて下さる方、命と向き合い続けてくれている医療従事者の方達に心から感謝しています。

 

どうか早く日常が戻りますように。

死んだ目をした高校の先生

こんにちは。

 

こんなにも長いこと家の中にいるとやることも尽きてしまって、ぼんやりいろんなことを考えたりしています。

 

何を考えているかというと、考えるというよりも、最近高校の先生のことをよく思い出します。元気かなあと。

 

2、3年生で担任を持ってくれた先生は、少し変わった人でした。

無愛想でいつも死んだ魚みたいな目をしていて、(笑)淡々とした人です。

2年生になったばかりの私は新しく担任になった先生を見て、なんで先生になったんだ?とまで思いました。

 

高校生の時の私はお世辞にもいい生徒とは呼べないタイプだったと思います。

ダメと言われているのに髪を染めて化粧をして、毎週のように遅刻して。ヘラヘラと過ごしていました。

それでも一応悩みはありました。

 

中学生の時から、いや、父がこの世を去ってから、寝付きが悪くなってしまいました。

ひどい時には日付が変わる前に布団に入っても一晩中寝られず、一睡もせずに定期テストを受けたこともありました。

だから本当は遅刻する時はいつも、寝たくても眠れなかった時で、一応自分の中では理由なく遅刻したことは一度もありませんでした。

それでも私の性格上、チャラチャラヘラヘラとしていたので友達に心配かけたくもなく、さぼり〜なんていつも適当に嘘をついていました。

 

実は染めていた頭も、はじめは白髪を隠すためでした。これまた父の他界からのショックで頭が白髪だらけになってしまって、流石に恥ずかしくて美容院で毎月染めてもらっていました。

でもそんな事情も知らない先生からしたらたまったもんじゃなかったでしょう。注意しても注意しても毎月頭を染めてくる生徒なんて。。(笑)素直に事情を話せば先生たちも見方を変えてくれたと思いますが、どうせ先生なんて、と思っていたので、毎月怒られるならいっそのこと地毛より明るくしちゃえ、なんて思って派手な色に染めたこともありました。はい。典型的な反抗期でした。

 

身なりも悪い、遅刻ばかりするなんて先生からしたら最悪のコンボです。入学して半年もせずに頭髪検査に引っかかって校門で怒鳴られたり、放課後呼び出されたりなんてザラでした。

どんな先生も口を揃えて直せ直せ。私だって白髪がなければ髪も染めないし、難なく寝付ければ遅刻だってしないのに。事情も知らない先生たちが怒るのは今思えばごく当たり前のことで自分が悪いのですが、当時の私は完全にヘソを曲げていました。

 

高校2年生の夏休みの三者面談。まーた怒られるのか、なんて思いながら向かいました。

内容は進路相談。私は勉強だけは一応頑張っていたので、成績は学年1位をいつももらっていました。指定校推薦で行きたい学科があったけど、こんな生活態度じゃ無理だと諦め切っていました。一応その旨を伝えると、予想外の言葉が返ってきました。

「もうちょっと落ち着いてさえくれれば、私は推薦しますよ、いい子ですよ」と。

先生なんてみんな外見しか見てないと思ってました。ましてやこの生徒に無関心そうな担任の先生なんて尚更。でもその先生は違いました。

私が友達と話してる様子、勉強の取り組み方。頑張ってることを評価してくれました。勝手に私たちに関心なんてないんだろうと決め付けていただけで、実はちゃんと生徒のことを見てくれてたんだと気づきました。

 

それから私は担任の先生は他の先生たちとは違うと思うようになりました。この先生なら、と思って2年生の冬前、思い切って眠れないことを担任の先生に話してみました。

先生はただうなずいて、特に何かアドバイスを押し付けたりすることもなく、ただただ私の話を聞いてくれました。私が言えば空いてる時間を作っていつでもいろんな話の相手をしてくれて、何時間でも一緒にいてくれました。

 

いろんなことを語ってくれる先生は今までいくらでもいました。でも、何も言わずに何時間も話を聞いてくれる先生は初めてでした。

 

先生はそれから、私の遅刻が多くなると心配してくれたり、休みの日も連絡すれば必ず返してくれたり、進路相談のために春休みも時間を作ってくれたりしました。

 

この先生のお願いなら聞こう。そう思いました。それから私は髪も地毛と同じくらいかそれより暗い落ち着いた色に染めるようになり、指導されることも減りました。遅刻もなるべくしないように頑張りました。

そしてなんとか周りの先生たちからの信頼も取り戻して、3年生の秋には指定校推薦で行きたかった学科への進学を決めることができたのです。

 

その先生とは高校を卒業した今も連絡を取ったり、私が高校の近くに行った時は立ち寄って会ったりしています。

 

無愛想でいつも淡々粛々としていた担任の先生は、ノリがいいわけでも授業を早く終わらせてくれるわけでもなくて、どんな生徒からも好かれるようなタイプではなかったかもしれません。それでも私が今まで出会った先生の中で一番私のことをわかろうとしてくれて、世話を焼いてくれた先生でした。

 

2年間面倒を見てくれたこと、進学させてくれたことをとても感謝しています。

 

コロナが収束してまた外で人と会えるようになったら、久しぶりに高校に遊びに行ってみようかなと、楽しみにいま過ごしています。

ブログ開設から1ヶ月

こんにちは。

 

少々お久しぶりになってしまいました。

5月に入り、一人暮らしの家に戻りましたが、、

やっぱり家事って大変ですね。家事が大変というよりは、家事のめんどくささに打ち勝つのが大変です。(笑)

 

昨日緊急事態宣言の延長が決定しました。

私も正直自粛生活に疲れて来てしまっていて、そこに来ての延長は辛いものもありますが仕方がありません。

緊急事態宣言、9月入学(説)、武漢ウイルス研究所…

半年前には知りもしなかった言葉が毎日ニュースの中で飛び交い、もう何日もアナウンサーさんの明るい声を聞いていないような気がします。

 

私たち世代(今二十歳ちょうど)が子を持つ頃には、ワクチンができ、ちょっとした風邪のように新型コロナウィルスを扱える日が来るのでしょうか。

 

そんな日が来ることを願って今はただ粛々と過ごしたいと思います。

 

話は変わってしまうのですが、ちょうど4月1日にこのブログを開設してから1ヶ月が経ちました。

私は文章を書くことが好きで、将来文を書く仕事に就くのもいいかなあ、なんて考えた時、父の友人の方にその練習のようなものとしてブログを書くことを勧めていただきました。

言われてすぐに、書いてみよう!と勢いで登録しましたが、いざ書き始めるとなかなか大変な作業でした。

でもそれも楽しく、少しずつ見てくださる方も増えて来たことがとても嬉しいです。

 

来週からオンラインでの大学の授業が始まります。課題と授業に追われる日々が戻ってくるわけです…やだなあ。。

 

そんなことはさておき、(しっかり頑張ります)ブログ更新については、少し頻度が減ってしまうと思います。

それでも1週間に一度は書くと決めているので、週のちょっとした楽しみ、息抜きとして読んでいただけると嬉しいです。

 

書きたいこともたくさん溜まっているので、ゆっくり文にしていこうと思います。

 

それではまた。

心機一転のお誘い

こんにちは。

 

実は今一人暮らしをしていて、明日その一人暮らしの家に帰ります。

緊急事態宣言が出た日から実家に戻っていたのですが、家賃ももったいない、、と思い明日帰ることに決めました。

帰ると言っても県もまたがない、実家から隣の市で一人暮らしをしているので車で15分くらいで帰れちゃいます。

 

一ヶ月弱実家で過ごして思ったことは、

やっぱり朝ごはん作らなくていいって最高!

でした。

夜ならまだ頑張ろうと思えるんです。どっち道活動してる時間なので。

でも朝は、起きてすぐご飯を作ると言うのは、、なかなか私は苦手です。

 

何せこの期間、完全に良くない例にハマって昼夜逆転してしまったもので、寝るのは深夜3時、起きるのは11時、、みたいな、最低な生活習慣になってしまいました。(一概にこの時間に寝起きしてる人が最低なのではなく、何の理由もなく惰性でこの時間になっている自分が最低という意味です)

 

でも明日からはまた一人暮らし。

朝それなりに早起きをしてご飯を作って食器を洗って、こんな時世なので、なるべく端的に買い物を済ませてまたご飯を作る。。

語尾に。。がついているあたりから私の今の心中はお察しいただけてると思うのですが、自分でやりたいと言った一人暮らしなので!

明日から心機一転、生活リズムも正してまた頑張ろうと思います。

 

物事を変える時、自分の生活を変える時、何か変化を起こすときにどうしても時間的区切りやきっかけが欲しくなってしまいます。

ほんとはそんなものなくてもすぐに実行できることが素晴らしいのですが。

未熟な私はなかなかそうもいかないので、常に何かきっかけ作りをして日々頑張っています。

 

こんな風にすると良いですよ、なんてアドバイスは私にはできませんが、何か少し変えたいなと思ってる方がもしいらっしゃれば、月も変わる明日から一緒に頑張ってみませんか?

 

そんなお誘いの記事になってしまいました。

今日も最後までお付き合いいただいてありがとうございます。

 

こんな状況の中、世界はなかなか自分一人では変えられませんが、家の中と自分は好きに変えることができます。この機会に素敵なおうちじかんを一緒に過ごしましょう。

 

それでは。

父を奪った高齢ドライバー

こんにちは。

 

父の話はご無沙汰していました。

今日は久しぶりにまた書こうと思います。

 

父の命を奪った高齢ドライバーの方について。

 

父の職は某バイク雑誌の編集長でした。

もしかしたらバイク好きな方で、バイク雑誌もよくお読みになる方なら私の父が誰なのかわかってしまうかもしれませんが、そこまで身バレしたくないという訳でもないのでそのままを書いて行こうと思います。

 

その日父は大阪の道路でバイクに乗り、雑誌に使う写真の撮影をしていました。

反対車線は一般の方たちが通常通り車を走らせていました。

一台の車が父に突っ込むまでは。

 

反対車線から誤って突っ込んできた車に乗っていたのは高齢者の方でした。

そのおじいさんが運転を誤った理由は、走行距離メーターをみようと思ってよそ見をしたから。

 

走行距離メーターを見ようと思った。そのふとした思いつきで、父の身体は一瞬で飛ばされました。

 

それを聞いたときは唖然としました。じゃあ他に、酔っ払っていたとか、よく聞くアクセルとブレーキを踏み間違えたとか、そういうもっと大きな理由だったら許せたのかと聞かれても、そうとは言えません。

それでも。

 

当たり前ですが父の死は私にとってとても大きなものでした。これからの人生であれほどの絶望を感じる時があるのかというくらい、本当に大きな出来事でした。でもその大きな出来事の発端は、一人のおじいさんの小さな思いつきだったのです。そんな小さな思いつきのために、私の父は死んだのです。

 

おじいさんは父を跳ねた直後、気が動転していたのか父の方から突っ込んできたと言いました。何メートルも先に転がっている父の身体が何か言い返せる訳もありません。

でもその場には目撃者の方もいて、後にすぐ警察に正しい事実が伝えられ、私たち家族にもそれが知らされました。

 

後に聞いた話では、その後おじいさんは酷く後悔されていたそうです。若くて幼い子供もいた父を殺してしまうくらいなら、自分が死んだ方が良かったと。

私の母に会って謝罪したいとも申し出たようでしたが、母は会いたくないと拒否しました。

 

おじいさんの刑は懲役3年執行猶予5年。

これは、次に何か犯罪を犯したときに刑務所に入ることになるという刑です。

母はもっと重い刑を求めましたが、おじいさんが父の件で刑務所に入ることはありませんでした。

 

『おうちで反省ってことだよ。』

そう私に伝えた母の顔はどこかやるせないように見えました。私は、

「おばあさんが一人にならなくてよかったね」

と言いました。おじいさんのことは許せません。きっと一生許せないと思います。でも、そのお嫁さんにあたるおばあさんには何の罪もありません。もしおじいさんが刑務所に入ることになれば、その時すでにご高齢だった二人が再会できる日が来るのかわかりませんでした。

 

綺麗事を言ったわけではありません。本心でした。刑務所に入れば父が帰ってくるというのなら、力ずくでも刑務所に入れて欲しいと思ったはずです。でも、入っても入らなくても、おじいさんが反省してもしなくても、私たちがどれだけ泣いて悔やんでも。何をどうしたって、もう二度と父が帰ってくる日は来ません。

それならこれ以上誰も傷つかない方がいい。それが私が出した答えでした。

 

それに、おじいさんに対して怒りという感情もほぼ全く感じませんでした。もちろん許すことはできません。でも、それ以上でもそれ以下でもなく、なんとも思いません。

愛の反対は無関心。その通りだと思いました。

おじいさんがどんなに反省してくれても、それが目に見えることもなければ父を蘇らせてくれることもありません。そうわかってしまった時、私は父の件に関わる全てに対して一切の関心を失ってしまいました。

父を奪った人を前にして、怒る気力も責める力もありませんでした。残っているのは父がもう帰らない人だという事実だけ。そのことだけが、誰もがわかる事実でした。

 

今おじいさんがどうしているのかは何も知りません。

まだご存命かもしれませんし、もしかしたらもう父と同じ所にいるのかもしれません。

 

時々思うことがあります。きっと今までは人並みに苦労しながらも平和に過ごされてきたであろう一人のおじいさんは、父を殺した後どんな気持ちで生きていくんだろうと。

その気持ちを考えた時、ふつふつと心に浮かんでいた言葉たちは、また力をなくして私の体に沈んでいくのです。いくら自分の父を奪った相手だとしても。

 

私がある日突然押しかけてあの時の人の子供だと言って、ありとあらゆる罵声を浴びさせても、きっとおじいさんは言い返すこともやり返すこともできないでしょう。

でも、ただうなだれるおじいさんを見て心が晴れるのだろうかと言ったら、そんなことは決してありません。

もう十分みんな傷ついているんです。その傷はきっと一生消えないもので、自分の傷で手一杯なのだから、これ以上誰かを傷つけたりする必要はないのです。

 

ただ私が毎日父を思って生きるだけ、それだけで全てが十分なんだと思います。

 

おじいさんがどこかでまだ生きていらっしゃるのなら、どうか今日も父を思って、これからも一生父を思いながら生きて欲しい。それだけを願っています。

深夜の承認欲求

こんばんは。

時刻は午前2時11分。

こんなに遅い時間の更新失礼します。。

でも今だから、この時間だから書けることな気もするのです。

 

私のことを知ってほしい。私が何を頑張って、何に悩んで、どうやって生きてきたのか知ってほしい。認めてほしい。どうにも私は夜中まで寝れずに起きていると寂しくなってきて、そんなことを考えてしまいます。俗に言う承認欲求ですね。

 

承認欲求というと正直あまり良いイメージを思い浮かべません。自己アピールがすごい、かまってちゃん、SNS依存症。少し言い過ぎかもしれませんがこう言ったことを思い浮かべるのは私だけじゃないのではないでしょうか。

 

でも本当に承認欲求って、よくないことなんでしょうか。

存在を知ってほしい、自分を認めてほしい。そう思うのは自然なことじゃないのでしょうか。人は誰しも寂しいんだと思います。だから一人じゃ生きていけない。本能的に一人にならないように、周りの人に自分のことを知ってもらえるようにそんな気持ちが湧いてくるんじゃないかなとも思います。

ただ、ここでSNSに必要以上に固執してしまったり、むやみやたらに自己アピールばかりしてしまうと先ほど言ったように良くないイメージを人に与えてしまうかもしれません。

 

本来の承認欲求の意味とはもしかしたら少し離れてしまうかもしれませんが、『誰かに認められたい』という気持ちを、自分で満たしてあげることもできるんじゃないかと最近考えます。

 

他の誰かでもない自分が自分を認めてあげる。

それで心は満たされるんじゃないかと思うのです。

 

自分の意思に、判断に自信がないから他人に委ねたくなる。他人からの評価、認識が欲しくなる。

でも、自分の心に常に正直で自分を好きでいられたなら、誰に認めてもらわなくたって自分で自分を認めてあげられるんじゃないかと。。

 

でもこれは簡単なことではありません。

私はまだまだ到底たどり着けそうにないです。

でもたどり着けそうもないから他に走るのではなく、自分で自分を好きになって認めてあげられるように、そんな自分を目指したいと最近特に思っています。

 

目指したいですと言うだけではなく考えてみました。

どうしたら自分一人で自分を認めてあげられるのか。

一番は自分に自信を持つことでした。

自信というのは確かに何か大きな成功をおさめたり何か大変なことを成し遂げたりした時につくようにも感じてしまいますが、私はそれは違うと気づきました。

いつもより丁寧な朝ごはんが作れた。

溜めがちな洗濯物をちゃんと溜めずに回せた。

面倒な筋トレもこなして一歩理想の自分に近づけた。

こんなに些細なことで良いんです。

やった。できた。偉い!そうやって自分を褒められたら、"こんな些細なこと"が自信につながっていくんじゃないかと思います。

 

そして自信を持った人になれれば、他人に頼らずとも自分を認めて褒めてあげることで毎日幸せに生きられるんじゃないでしょうか。

 

これなら始められそうな気がしてきました。

明日の朝、早起きできて偉い!

そう思えるように、いつまでも夜更かしをしていないでもう寝ようと思います。(笑)

 

夜中の独り言にお付き合いいただきありがとうございました。

 

みなさまも是非、自分で自分のこと、褒めてあげてくださいね。

 

それでは。

同じ家で育っても

 

こんにちは。

 

相変わらず家に引きこもり続けているので必然的に家族といる時間がほとんどな日々です。

とりわけ弟と私は例のどうぶつの森ブームなので、ほぼ一日中遊んでいるわけですが、、

同じ兄弟でも本当に性格が違う。

 

弟はいま高校3年生ですが、小さい時から変わらず中身は母似です。(見た目は生写しのように父に似てるのですが)

一方私は顔は母似、中身はそのまんま父似で、弟とは何かにつけて性格が真逆で笑ってしまうことが多いのです。

 

ワイワイガヤガヤするのが好きな私と、静かに楽しみたい弟。

冒険感覚でとりあえずやってみてしまう私と、計画性のある弟。

周りの人に甘えてたくさん助けてもらって過ごしている私と、自分のことはしっかり自分でやるタイプの弟。。。

 

同じ家で同じ親から生まれて、同じご飯を食べて一緒に怒られて育っても、こんなにも性格が違うものかと思います。

それを弟に言ったら、

「それが人間のいいところなんだよ」

と言われました。

本当に高3……?

でも弟の言う通り、だから面白いのかもしれません。

 

思えば小学3年生の時に習い事を始めたあたりから、学校から帰ってきても習い事、部活、バイトに行ったりと一日中家にいる日は意外となかったかもしれません。

いまこの状況で、家族と過ごす時間が長いからこそ、気づくこともあって面白いと思いました。

自粛期間だからこそ、何事もポジティブに考えて今日も過ごしたいと思います。