芸能事務所にはいりました
とてもお久しぶりになってしまいました。
ご報告があります。
実は、芸能事務所所属になりました。
ずっと憧れていた雑誌の世界。文を書くことが好きだったのでいつか作ってみたいななんて思っていましたが、まさか自分が出る側としてモデルになるなんて思ってもいませんでした。
まだ事務所に所属したというだけで何も仕事はなく、右も左も分からない超々新米モデルなのですが、、
せっかく頂けた機会なので、文章という形ではありませんが自己表現できる場として活動頑張りたいと思います。
今日まで更新できなかったのもバタバタしていたからで、これからはもっと更新頻度も落ちてしまうかもしれませんが、ブログもゆっくりと続けていきたいと思っているので、どうかよろしくお願いします。
これからはここに芸能界のことも書けるようになるなんて、ちょっとワクワクしています。
今日は短いですがご報告ということでこの辺りで。
これからもよろしくお願い致します。
それでは。
お父ちゃんが見ていた世界
随分とご無沙汰してしまいました。
前回書いた文を書くお仕事は、問い合わせてみたところいろいろとお互いの希望に沿わないところが多く、見送ることになりました。
また機会があった時に、挑戦してみたいと思います。
昨日実家に寄ったところ、私の二十歳を目前にして思い立った母が小さい時のビデオを現像していました。久しぶりに家族で小さい頃の動画を見ました。
どのビデオも撮っているのは、お父ちゃん。
姿は映っていないけれど、どの映像もそれは生きていたお父ちゃんが見た世界でした。そしてそこには、あからさまにデレデレした声で私に話しかけるお父ちゃんの声もたくさん入っていました。
久しぶりに声を聞きました。
こうやっていつも私の名前を呼んでいたんだ、こんなふうに見えていたんだ、と。
4歳の運動会の、徒競走の映像。
動きもどんくさくて、何故か必要以上にニコニコしながら最下位でゴールした私の姿は、お父ちゃんがアップで写しすぎてぶれぶれでした。
ふっ、と、漏れたお父ちゃんの笑い声が、どれだけ私を可愛がってくれていたかそれだけで伝わるような、優しい声でした。
弟とお母さんとお弁当を食べる私は笑顔でカメラを見ていて、ビデオの中の世界が、お父ちゃんが見ていた世界があまりに幸せそうで、幼い自分が羨ましくなりました。
そのビデオに残っている運動会の日は、お父ちゃんの締め切り明けすぐで、ほとんど寝ないで来てくれた日だったそうです。
私が覚えている数少ないお父ちゃんと過ごした時間は、私たちと過ごしたいと思ってくれていたお父ちゃんの努力の上であった日々だったなんで、その時は知りませんでした。
たくさんビデオを見て、家族で笑って、お父ちゃんの声を久しぶりに聞いた昨日はとても幸せでした。
いつかお父ちゃんからも、思い出話を聞ける時が来て欲しいです。
文を書くお仕事への第一歩
ご無沙汰していました。
実はバイト探しにバタバタしていた1週間でした。
もともとカフェでアルバイトしているのですが、今回のこのコロナ騒動で飲食店は経営不振、私の働いているカフェも閉店こそしなかったもののシフトにぜんぜん入れなくなってしまいました。
掛け持ち先を探そうと思って近くのショッピングモールの香水屋さんに応募しましたが、母と入った飲食店のチラシに目が止まりました。
『〇〇ナビ!(〇〇は私の地元の地名です)取材サポーター募集』
元はと言えば始めは出版社でアルバイトしたかったのですが、都内に出る時間がまだ大学の時間割的にないことやら色々な理由で一度諦めていました。
でもどこかで文章を書く仕事に携わってみたい気持ちを捨てきれないままこのブログを書いたりしていたところでこの募集を見つけたのです。
その内容は、小さな会社が運営している地元のグルメスポットなどをまとめたサイトのライター?取材スタッフ?で、会社から指定されたお店にアポを取って取材をして、その感想やお店の雰囲気を記事にするお仕事でした。
憧れている出版社とはまた少し違うけれど、まだ動けないからと言って何もしないよりはと思い応募してみることにしました。
もし雇っていただけたら、それからは取材に行った時のことなどもここで書けたらいいなと思います。
いつか出版社でも働いてみたいなあ。。
いい報告ができるように面接頑張ります。
それでは。
10年が経ちました
お父ちゃんへ
今日でお父ちゃんが居なくなって10年になりました。天国にはもう慣れましたか?
お父ちゃんがそっちの世界に行ってから、たくさん天国の本を読みました。
想像した食べ物がすぐに食べられるとか、神様に会いに行けるとか、亡くなった知り合いにも会えるとか、いいことばっかり書かれていました。
本当に楽しそうなことばっかりで、お父ちゃんがいるところが幸せそうなところでよかったと思ったのに、なんでか涙が止まりませんでした。
10年間色んなことがあったよ。
今でも昨日のことのようにお父ちゃんがいた日を思い出せるのに、駅ビルは進化するし私の背もすっかり伸びるし、あっという間なようでやっぱり10年は長かったです。本当に色んなことが変わりました。
一生懸命話してくれていたサンタさんの正体ももうわかっちゃったけど、プレゼントを開ける私たちを嬉しそうに見ていたお父ちゃんの顔は今でもちゃんと覚えてます。
お父ちゃんが乗せてくれたバイクも、もうすぐ自分で運転できるようになれそうです。今教習所に行ってるんだけど、お父ちゃんに似て方向音痴になっちゃったので試験をなかなかクリアできそうにありません。
今の私をみてどう思っていますか?
髪を染めてピアスも開けて、毎日お化粧してヒールも履くようになりました。
10歳の時と見違えた姿にびっくりしてくれるかな。それとも、もうちょっとちゃんとしなさいって言われるかな。お父ちゃんはきっとそんなこといわずに、少し緊張した顔をしながら褒めてくれるような気がしてます。
見た目が変わっても、10年の時が経っても、1日だってお父ちゃんのこと忘れた日はありませんでした。いつだって会いたいよ。昨日だって今日だって、こうして書いている今だってすごく会いたいです。
ちゃんとした大人になって、天国で安心して見てられるような娘になるって約束したのに、まだまだお父ちゃんのことを思うと涙が溢れて、会いたくて会いたくて、あの頃のお父ちゃん子から何にも変われていません。
でもね、大好きだから、何歳になっても、もう会えなくても。
バイク乗りだったり、編集者だったり、色んな人に応援されていたお父ちゃんにはたくさんの顔があったと思うけど、私にとってはただのお父ちゃんで、私だけのお父ちゃんでした。
お願いだから、一回だけでいいから帰ってきて。もう一度だけバイクに乗せて。一本だけでいいから映画に連れて行って欲しいです。
それがもう叶わないことも、たまに見るファンタジー映画も現実じゃありえないことも本当はちゃんとわかってるんだけどね。
だから私は夢に見るんです。突然家のドアが開いて、びっくりして弟と玄関に走っていくとお父ちゃんがいて、「大きくなったなあ」って私の頭に手を乗せてくれる夢。お母さんはすごく嬉しそうで、家族4人でご飯を食べて。他愛もない話をしながらも私はお父ちゃんが消えてしまわないようにずっとそばにいて、夢の中でこの時間がずっと続けばいいのにって願っていました。
二十歳になる日に一緒にお酒を飲みたかった。
成人式に振袖を見せたかった。
結婚式、一緒にバージンロードを歩いて欲しかった。
私の未来の子供のこともバイクに乗せて欲しかった。
まだまだたくさん、本当にたくさんお父ちゃんとしたいことがありました。
なんでもうできないのかな。
10年前の今日が、あの日がなければ全部叶ってたのかな。
今でもどうしようもなく悔しくて悲しくて、寂しい気持ちでいっぱいになります。
後ろ向きなことばっかり言ってられないと思っていても、それも含めて全部本音です。前向きな気持ちと寂しい気持ちがいつだって戦っていて、いつもは前向きな気持ちが勝っていても、ふっと寂しさに負けてしまう日もあります。
きっとそれは一生変わらないだろうけど、お父ちゃんを大好きなことも、会いたい気持ちもずっと変わりません。
今日が過ぎればお父ちゃんがいない人生の方が長くなる一方で。嫌でも時間は進んでいくし、お父ちゃんと過ごした時間がどんどん遠くなっていくことが今とても寂しいです。
でも、今私はすごく幸せです。
優しい彼氏とたくさんの大好きな友達がいて、本当に周りの人に恵まれて毎日楽しく過ごしています。だから安心してね。
たまにはまた夢で会いにきてください。夢の中でたくさん名前を呼んで、バイクに乗せてね。それから、私にだって伝えたいことがたくさんあるんだから、いっぱい話を聞いてください。
もし一つ願いが叶うなら、今でも私はお父ちゃんに会いたいです。
今日も明日も、10年後も、ずっとずっと大好きだよ。
近くで見守っていてね。
犬の気持ち
こんにちは。
この1週間の間に、おつきあいしている彼との6年記念日を迎えました。
14歳の時から一緒にいる私たちもあと2ヶ月で二十歳になるんだと思うとなんだか感慨深かったです。ちなみに、彼と私の誕生日は3日しか違いません。なので毎年お祝いラッシュになります(笑)
最近少しずつ外出できるようになってきましたね。
私も先日、細心の注意を払いながらも久しぶりにオープンした隣の駅のモールに行ってきました。前まではただ暇つぶし程度にしか立ち寄っていなかったような場所も、久しぶりに行くとなんだかもう全てが輝いて見えて、予定よりはるかに多くお金を使って買い物してしまいました。。
そんなことをしている時にふと思ったことがあります。もしかしてお散歩してる犬はこんな気持ちなのか……?と。
私の実家では柴犬を3匹飼っていて、実家と家が近いこともあり今でもしょっちゅう会っていますが会うたび可愛さが増してる気がします。親バカですね。
たまにお散歩嫌いな子もいるみたいですが大抵のわんちゃんはみんなお散歩が大好きな気がします。例に漏れずうちの子たちもお散歩大好きです。
毎日行っている公園なのに毎回目を輝かせて草木の匂いを嗅ぐし、毎日通っている道も楽しそうにぐいぐい引っ張って歩いて行きます。
私たち人間は当たり前ですが今回のようなことがない限り、普段は好きな時に外に出て出歩けますが、少なくとも飼われている犬たちはそうはいきません。
好きに出られない中での1日に1回(朝夜なら2回)のお散歩はそれはそれは楽しいわけだな、と、今回緊急事態宣言が解除されて久しぶりに少し自由に外に出れるようになって見に染みて思いました。
不自由だし、感染は怖いし、、ついついネガティブになりがちなこの期間ですが、可愛い飼い犬たちの気持ちが思いもよらないところで理解できて、なんだか嬉しい気持ちになりました。
今日はなんだか本当に些細なお話になってしまいました。
父の話を書くとなるとやはりどうしても死、命、というテーマは避けられないので、つい身構えるお話が多くなりがちな私のブログかもしれませんが、こういう小さなお話も書いていきたいと思います。
今日もお付き合いいただきありがとうございました。それでは。
ご冥福を
悲しい。悔しい。
書く、ということがこんなにも武器のようになってしまうこと。
いつも通り朝起きてぼんやりTwitterをみていたら、一つのニュースが目に飛び込んできました。
ある芸能活動をしていた方が(おそらく)ネットでの誹謗中傷で心を痛めて亡くなってしまったと。(本当のことはまだ誰にも分かりません。ここで決めつけたように書くことはできないのでおそらくという表現をしています)
私は全く知らない方でした。私が存じなかっただけで同年代の中ではかなり知られていて、タイムラインはその人の話題で埋まっていました。
愛してる、楽しく長生きしてね。ごめんね。
そう書かれた写真とともに愛猫であろうペットとの自撮りが最後のインスタグラムの投稿になっていました。
涙が出ました。こうして文を書いている今でも涙が浮かんで文字がぼやけます。
全く知らない方だけど。
どんなに苦しく寂しい思いで、大好きな飼い猫を見つめて、この写真を撮って、投稿したんだろう。
全く知らない方でも、その方は22歳で、私よりたった2年早く生まれただけの笑顔が素敵な女の人でした。
よく聞くのは、どうして死ぬまで思い詰めてしまったの、とか、誰かに助けを求めることはできなかったのか、とか、家族や友達、大好きな人はいなかったのか、とか。
でもそれは少し違うと思うんです。
どんなに愛する人がいても、自分を愛してくれる人がいても。死にたいと思ってしまうほど心が壊れてしまったら、ふとした時に消えてしまいたくなるんじゃないかと。その時にはもう助けを求めようなんてところまで頭は働かずに、きっと1人で
あ、もう、いいや。
そう思って、まるで前々から決めていたかのように自らの命を絶ってしまうんじゃないかと。
そこまで追い詰めたのは紛れもなく心ない言葉を投げつけていた人たちなんです。
目の前にはスマホしかないように感じる。でもその画面の奥には間違いなく人がいて、その人は心を持っている。当たり前のことなんです。
書く、ということはとても素晴らしいことだと思っています。話すとはまた少し違う。何度も消して書き直して、目に見える形で自分の思いを残せる素敵なツールだと思うんです。
でも、こんなふうに書くことが使われてしまったら。それはもうツールでも何でもなく、人を傷つける立派な武器と化しています。
突然街中ですれ違った人に暴言を吐く人はそうそういません。でもそれがネットになった途端、通りすがりのアカウントに誹謗中傷の言葉を投げつけて歩いていく人がたくさんいるのがどうしても不思議で仕方なく、とても悲しいのです。そんなことに書くということを使わないでほしいと心から願います。
どうかこの世から心ない言葉を書き込んでしまうような“心"が無くなりますように。
そして、木村花さん。このことが起きてから貴方のことを知ることになりました。
出てくる写真はどれも素敵な笑顔でした。
何も知らないただの通りすがりの人、だけれど。
どうか天国で安らかに過ごせることを祈っています。
どうやって命を選ぶのか
こんにちは。
今週からオンラインでの授業が始まりました。
大変だけど、今までまるでやることがなかったのに比べれば時間も早く感じて、少し楽しい気もします。
私が取っている授業の中に倫理学があります。
その倫理学の授業の中に挙げられた例の一つを簡単にご紹介します。
ある病院に、透析療法を必要とする患者さんが5人いました。しかし、その病院にある透析機は2台。5人の中から2人選ぶために、神様委員会が設置されました。
みなさんはどのような方法でその2人を選んだと思いますか?
この例は1900年代のアメリカであった実例ですが、つい最近も似たようなことは世界で起こっています。
イタリアで新型コロナウイルスによって医療現場が崩壊し、人工呼吸器が足りなくなりました。医師たちは涙ながらに、お年寄りの方から人工呼吸器を外していく決断をしました。それはすなわち、命を終える作業をしていくという決断です。
私はこのイタリアの話を知っていたこともあり、授業の例の話も、若い人が選ばれたのかなと思いました。
正解は、正解、というべきなのかわかりませんが、その時に用いられた判断基準は、一番社会貢献度が高い2人を選ぶというものでした。
これについての感想を書くレポートが出席を取る方法だったので私もすぐにレポートに取り掛かりました。
自分は若い人が選ばれるのかと思ったこと。
社会的貢献度が高い人が選ばれるということに納得したこと。
納得、、はしました。しかし、疑問も生まれました。
もし人が人生で積む徳の多さが誰しも同じだとしたら、この方法で選ぶと必然的に長く生きている人が選ばれることになります。しかし、長く生きていればいるほど社会に貢献しているのかと言ったらそうとも限らないので妥当とも言えますが、まだ働くこともできない幼い子がその5人の中にいたとしたら、どうやってその子は社会貢献力を認めてもらえるのでしょうか。必ずしも働いていないと社会に貢献していないと言うわけではありませんが、少なからず不利になってしまうのではないかと思いました。
不利、という言葉を使いましたが、これは勝ち負けの時によく使われる言葉な気がします。
では、透析療法を受ける2人に選ばれることは勝ちだったのでしょうか。
治療が受けられ、先の未来が見えることは幸福ではあると思います。でも、選ばれなかったら負けなのか、不幸なのか。そう考えたら、決してそうとは言えません。
長生きすることが勝ちなら、私の父は負け組です。でも、父の人生の濃さ、父がいてくれたからこそ私たちが得た幸せ、それを考えたら決して負け組でもなければ、かと言って勝ち組でもありません。
命に勝ち負けはない、でも、命の選択を迫られた時、それはまた難しい話なんだと改めて考えさせられました。
一斉に始まった授業の課題を慌ただしく片付けていく中で、この倫理学の授業は時が止まったように深く考える時間になりました。
みなさんもお時間があればぜひ、色んなことを考えてみてください。
ちょっとした気づき、ちょっとした思いつきで世界が変わって見えるかも、しれないので。
それでは。