ご冥福を
悲しい。悔しい。
書く、ということがこんなにも武器のようになってしまうこと。
いつも通り朝起きてぼんやりTwitterをみていたら、一つのニュースが目に飛び込んできました。
ある芸能活動をしていた方が(おそらく)ネットでの誹謗中傷で心を痛めて亡くなってしまったと。(本当のことはまだ誰にも分かりません。ここで決めつけたように書くことはできないのでおそらくという表現をしています)
私は全く知らない方でした。私が存じなかっただけで同年代の中ではかなり知られていて、タイムラインはその人の話題で埋まっていました。
愛してる、楽しく長生きしてね。ごめんね。
そう書かれた写真とともに愛猫であろうペットとの自撮りが最後のインスタグラムの投稿になっていました。
涙が出ました。こうして文を書いている今でも涙が浮かんで文字がぼやけます。
全く知らない方だけど。
どんなに苦しく寂しい思いで、大好きな飼い猫を見つめて、この写真を撮って、投稿したんだろう。
全く知らない方でも、その方は22歳で、私よりたった2年早く生まれただけの笑顔が素敵な女の人でした。
よく聞くのは、どうして死ぬまで思い詰めてしまったの、とか、誰かに助けを求めることはできなかったのか、とか、家族や友達、大好きな人はいなかったのか、とか。
でもそれは少し違うと思うんです。
どんなに愛する人がいても、自分を愛してくれる人がいても。死にたいと思ってしまうほど心が壊れてしまったら、ふとした時に消えてしまいたくなるんじゃないかと。その時にはもう助けを求めようなんてところまで頭は働かずに、きっと1人で
あ、もう、いいや。
そう思って、まるで前々から決めていたかのように自らの命を絶ってしまうんじゃないかと。
そこまで追い詰めたのは紛れもなく心ない言葉を投げつけていた人たちなんです。
目の前にはスマホしかないように感じる。でもその画面の奥には間違いなく人がいて、その人は心を持っている。当たり前のことなんです。
書く、ということはとても素晴らしいことだと思っています。話すとはまた少し違う。何度も消して書き直して、目に見える形で自分の思いを残せる素敵なツールだと思うんです。
でも、こんなふうに書くことが使われてしまったら。それはもうツールでも何でもなく、人を傷つける立派な武器と化しています。
突然街中ですれ違った人に暴言を吐く人はそうそういません。でもそれがネットになった途端、通りすがりのアカウントに誹謗中傷の言葉を投げつけて歩いていく人がたくさんいるのがどうしても不思議で仕方なく、とても悲しいのです。そんなことに書くということを使わないでほしいと心から願います。
どうかこの世から心ない言葉を書き込んでしまうような“心"が無くなりますように。
そして、木村花さん。このことが起きてから貴方のことを知ることになりました。
出てくる写真はどれも素敵な笑顔でした。
何も知らないただの通りすがりの人、だけれど。
どうか天国で安らかに過ごせることを祈っています。