もくもく生活日記

日々の生活で思ったことを少しずつ。

父を奪った高齢ドライバー

こんにちは。

 

父の話はご無沙汰していました。

今日は久しぶりにまた書こうと思います。

 

父の命を奪った高齢ドライバーの方について。

 

父の職は某バイク雑誌の編集長でした。

もしかしたらバイク好きな方で、バイク雑誌もよくお読みになる方なら私の父が誰なのかわかってしまうかもしれませんが、そこまで身バレしたくないという訳でもないのでそのままを書いて行こうと思います。

 

その日父は大阪の道路でバイクに乗り、雑誌に使う写真の撮影をしていました。

反対車線は一般の方たちが通常通り車を走らせていました。

一台の車が父に突っ込むまでは。

 

反対車線から誤って突っ込んできた車に乗っていたのは高齢者の方でした。

そのおじいさんが運転を誤った理由は、走行距離メーターをみようと思ってよそ見をしたから。

 

走行距離メーターを見ようと思った。そのふとした思いつきで、父の身体は一瞬で飛ばされました。

 

それを聞いたときは唖然としました。じゃあ他に、酔っ払っていたとか、よく聞くアクセルとブレーキを踏み間違えたとか、そういうもっと大きな理由だったら許せたのかと聞かれても、そうとは言えません。

それでも。

 

当たり前ですが父の死は私にとってとても大きなものでした。これからの人生であれほどの絶望を感じる時があるのかというくらい、本当に大きな出来事でした。でもその大きな出来事の発端は、一人のおじいさんの小さな思いつきだったのです。そんな小さな思いつきのために、私の父は死んだのです。

 

おじいさんは父を跳ねた直後、気が動転していたのか父の方から突っ込んできたと言いました。何メートルも先に転がっている父の身体が何か言い返せる訳もありません。

でもその場には目撃者の方もいて、後にすぐ警察に正しい事実が伝えられ、私たち家族にもそれが知らされました。

 

後に聞いた話では、その後おじいさんは酷く後悔されていたそうです。若くて幼い子供もいた父を殺してしまうくらいなら、自分が死んだ方が良かったと。

私の母に会って謝罪したいとも申し出たようでしたが、母は会いたくないと拒否しました。

 

おじいさんの刑は懲役3年執行猶予5年。

これは、次に何か犯罪を犯したときに刑務所に入ることになるという刑です。

母はもっと重い刑を求めましたが、おじいさんが父の件で刑務所に入ることはありませんでした。

 

『おうちで反省ってことだよ。』

そう私に伝えた母の顔はどこかやるせないように見えました。私は、

「おばあさんが一人にならなくてよかったね」

と言いました。おじいさんのことは許せません。きっと一生許せないと思います。でも、そのお嫁さんにあたるおばあさんには何の罪もありません。もしおじいさんが刑務所に入ることになれば、その時すでにご高齢だった二人が再会できる日が来るのかわかりませんでした。

 

綺麗事を言ったわけではありません。本心でした。刑務所に入れば父が帰ってくるというのなら、力ずくでも刑務所に入れて欲しいと思ったはずです。でも、入っても入らなくても、おじいさんが反省してもしなくても、私たちがどれだけ泣いて悔やんでも。何をどうしたって、もう二度と父が帰ってくる日は来ません。

それならこれ以上誰も傷つかない方がいい。それが私が出した答えでした。

 

それに、おじいさんに対して怒りという感情もほぼ全く感じませんでした。もちろん許すことはできません。でも、それ以上でもそれ以下でもなく、なんとも思いません。

愛の反対は無関心。その通りだと思いました。

おじいさんがどんなに反省してくれても、それが目に見えることもなければ父を蘇らせてくれることもありません。そうわかってしまった時、私は父の件に関わる全てに対して一切の関心を失ってしまいました。

父を奪った人を前にして、怒る気力も責める力もありませんでした。残っているのは父がもう帰らない人だという事実だけ。そのことだけが、誰もがわかる事実でした。

 

今おじいさんがどうしているのかは何も知りません。

まだご存命かもしれませんし、もしかしたらもう父と同じ所にいるのかもしれません。

 

時々思うことがあります。きっと今までは人並みに苦労しながらも平和に過ごされてきたであろう一人のおじいさんは、父を殺した後どんな気持ちで生きていくんだろうと。

その気持ちを考えた時、ふつふつと心に浮かんでいた言葉たちは、また力をなくして私の体に沈んでいくのです。いくら自分の父を奪った相手だとしても。

 

私がある日突然押しかけてあの時の人の子供だと言って、ありとあらゆる罵声を浴びさせても、きっとおじいさんは言い返すこともやり返すこともできないでしょう。

でも、ただうなだれるおじいさんを見て心が晴れるのだろうかと言ったら、そんなことは決してありません。

もう十分みんな傷ついているんです。その傷はきっと一生消えないもので、自分の傷で手一杯なのだから、これ以上誰かを傷つけたりする必要はないのです。

 

ただ私が毎日父を思って生きるだけ、それだけで全てが十分なんだと思います。

 

おじいさんがどこかでまだ生きていらっしゃるのなら、どうか今日も父を思って、これからも一生父を思いながら生きて欲しい。それだけを願っています。