天国のお父さんのこと
私と父が過ごした時間はたったの10年間。
その10年は今でも思い出せば涙が出るほど暖かくて幸せなものでした。
他の誰のためでもなく、天国の父のために、これから父がいない時間の方が長い人生を過ごす私のために、少しでも忘れないように書き留めたお話です。
父は私が10歳の時に天国に旅立ってしまいました。
突然の不慮の事故で。
小学5年生の6月、平日の朝いつも通り起きると家にお母さんは居なくて、
「今日は熱っぽいから学校おやすみね」
というメールだけがガラケーに届いていました。
熱っぽくはないし、どうしてお母さん居ないんだろう、と子供ながらにいつもと違う雰囲気をすぐに感じました。
父はバイクに関わる仕事をしていたので、もともとよく怪我をしていました。
今回もまた怪我したのかな、なんて思っていましたがそんな呑気な想像は祖母の表情を見た瞬間に崩れていきました。
私の方を見て今にも泣きそうな顔をしている祖母を見て、思わず私は聞きました。
「ねえ、お父ちゃん、死んじゃったりなんてしてないよね」
祖母は何も答えず、ただ少し悲しそうに笑って
「お母さん、もうすぐ帰って来るからね」
その言葉を繰り返すだけでした。
「お父ちゃん、死んじゃった」
帰ってきた母の口から発せられた一言はショックという言葉では言い表せないものでした。辛い、悲しい、なんて想いはこう言う時には出てこないことを知りました。
代わりに私の心を埋め尽くしたのは絶望でした。いつもなら泣いたらスッキリすることだって多いのに、どんなに声を上げて泣いてもその日ばかりは心が晴れることはありません。泣けば泣くほど心は絶望で埋まって、でも泣いていないと自分を保てないような気がして、大好きな父親の死に面して初めて今必死に自分が生きようとしていると感じました。
それから私の知っている父は骨になりました。大きな体で私を抱き上げてくれたのに、その日会った父は小さな箱に入っていて、今度は私が父を抱いて家に帰りました。
リビングには即席の仏壇が置かれました。
10歳の私はお雛様みたい、と思ったのを覚えています。でもそこにはもちろん雛人形も、お雛様を私に嬉しそうに見せて喜ぶ父の姿もなく、代わりにあるのは写真の中の父の笑顔だけでした。
家の中はどこも父の写真でいっぱいなのに、どの写真に写る父もいつものあの笑顔なのに、どうしてどこを探しても父はいないんだろう。どうしてもう写真の父にしか会うことができないんだろう。リビングで父の写真に囲まれながら一人そんなことを思い、ただただお線香を絶やさないようにその場に居続けました。
不思議なことに、というのもおかしいかもしれませんがそれでも不思議なことに、事故を起こした相手を憎く思う気持ちは生まれませんでした。10歳ながらに自分にできることを考えた時、父の事故のせいで私の心が汚れてしまったら父はきっと悲しむと思ったからです。少しでも前向きに、幸せに生きる姿を見せることが一番の供養になると信じていましたし、今でもそう信じています。
そうは言っても前向きになれない日もたくさんありました。会いたいと願っても会えないことがこんなにも辛いと知るには私はまだ幼すぎたのです。道を歩く親子連れを見ては、どうして私の隣にはもう二度と父が来てくれることはないのかと泣いて悔やむ日もありました。
そんな時だっていつも父は写真の中から私に笑顔を向けてくれました。思い出の中でいつだって名前を呼んでくれたし、夢の中でたくさん可愛がってくれました。
人を大切にすること。自分自身を大切にすること。たくさん笑うこと。自分の気持ちを素直に表現すること。いつだって優しく、どんなに仕事で疲れていても私たちに笑顔を向けてくれた父の姿が教えてくれたことはたくさんあり、そして最後に、命の大切さを教えてくれました。
お父ちゃん。私は今19歳。あと半年もしないで二十歳になります。
二十歳になると同時にお父ちゃんがいなくなって10年、それから先の私の人生はお父ちゃんがいない時間の方が長くなることが今とても寂しいです。
好きな人もできました。どこかお父ちゃんに似ているところがあって、とても素敵な人です。
お化粧もするようになりました。口紅をつけて街を歩く私はあの時より見た目は変わってしまったけれど、私の心は今でもお父ちゃんが大好きなまま、お父ちゃん子のままです。
もし今お父ちゃんに会えるなら、あの時話していたプリキュアについてはもう詳しくないけれど、進路のこと、大学のこと、好きな人のこと。聞いて欲しいことはたくさんあります。
どこかで私を見ていますか?
まだまだ子供な私はきっと見ていて思わず手を出したくなるようなこともたくさんあると思います。でもいつか、お父ちゃんが安心して空から見ていられるような大人になるから、あともう少しだけ。
私の側で見守っていてね。
私の大好きなお父ちゃん。